薬王寺の沿革


              


当山は元和元年(1615年)開基 

本化院日桂上人により麻布狸穴に創立された後、元和7年に現在の三田の地に移転されました。

境内地にある井戸は日蓮聖人在世より「鎮火の霊水」として知られ、

江戸三大大火の際には消火に役立ちました。

江戸時代の俳人、加賀千代女がその話を耳にし初夏に訪れた際に朝顔がその井戸に

絡んでいたことから


「朝顔に 釣瓶取られて もらい水」


と詠まれた事から「朝顔の井戸」と名付けられました。

墓地には明治の書家「中林 吾竹」の墓所があり、本堂はかつては寺子屋「開蒙舎」として使われ、

現在の御田小学校の前身となっています。